平成14年7月29日(月)開催
財団法人 日本開発構想研究所 創立30周年記念講演とシンポジウムの記録

4.記念シンポジウム

「大学改革と都市・地域の再構築−日本再生、都市再生への提言−」

コーディネーター 齋藤諦淳 (武蔵野女子大学学長、当研究所理事)
パネラー 小澤一郎 (都市基盤整備公団理事)
喜多村和之 (早稲田大学教授、私立高等教育研究所主幹)
小林重敬 (横浜国立大学教授、当研究所理事)
佐々木誠造 (青森市長)

 司会 ただいまから記念シンポジウム「大学改革と都市・地域の再構築日本再生、都市再生への提言」を開催いたします。

 最初に、シンポジウムのコーディネーター、パネラーの皆様をご紹介いたします。ご略歴はプログラムに書いてありますので、お名前と現職だけをご紹介させていただきます。

 本シンポジウムのコーディネーターをお願いしております齋藤諦淳・武蔵野女子大学学長です。パネラーといたしまして、大学問題のオーソリティーであります喜多村和之・早稲田大学教授、都市・地域計画の分野でご活躍の小林重敬・横浜国立大学教授、都市再生の現場でご活躍中の小澤一郎・都市基盤整備公団理事、そして遠路青森からお越しいただきました佐々木誠造・青森市長です。

 以上のメンバーでシンポジウムを開催させていただきます。コーディネーターの齋藤先生、よろしくお願い申し上げます。

 齋藤 皆さん、よろしくお願いいたします。「『知』の時代の都市再生大学改革と都市・地域の再構築」ということでシンポジウムを始めます。

武蔵野女子大学・齋藤先生

 パネラーの順番としては、最初に、大学の教員の立場で高等教育行政を中心に研究を続けておられる喜多村和之先生にお願いし、2番目に同じく大学の教授である都市計画、国土計画の専門家の小林重敬先生にお願いします。3番目は若干具体化いたしまして、都市基盤整備公団の理事である小澤先生に、国土計画、都市再生の立場からの問題点を提起していただき、最後に青森公立大学をはじめ実践的にいろいろな試みをされておられる佐々木誠造・青森市長にお願いしたいと思います。

 喜多村 私が申し上げたいことは、第一に、大学と都市というのは不可分の関係にあることです。ボローニャやパリが生まれたとき、人はパリやボローニャの都市に集まった。都市は、「知」を求めて集まってきた人々の「知」の共同体から始まったことは皆様ご存じのとおりです。それから文明(civilization)という言葉はラテン語の「都市」という意味のcivitasから生まれましたし、ローマやアテネは都市だったから文明があった。しかも、これは単に天然のものではなく、つくられるものです。ローマやアテネの都市には中心となる哲学があったと考えます。

早稲田大学・喜多村先生

 このように考えると、大学は都市と切り離せないものであることは当然ですが、1969年に工業等制限法がつくられ、大都市の大学が規制されました。当時、次官でいらした天城勲先生が高等教育計画を策定しているときで、私はその委員としてお手伝いしました。そのとき、大都市の工業等制限法に対しては「工場と大学を一緒にするとは何事であるか、これは大変野蛮な法律である」と、われわれも大変憤慨いたしました。しかし、法律としてできてしまった以上、これを無視することはできないので、苦渋の中で高等教育計画の策定を審議しました。

 現在、工業等制限法は撤廃されましたが、30年以上続いた中で、ある意味では大変効果を発揮しました。1960年代には大都市圏外に設置されていた大学は38%であったものが、2000年には72.6%となったわけです。効果と申し上げましたが、私の考え方からすると、これは非常に不自然な、人為的な制限だと思っております。その意味で、工業等制限法が撤廃されたことは、本来の大学と都市のあり方に戻ったのではないかと考えております。

 そこで現在、都市再生ということで、にわかに大学の役割が見直されてきています。これまで政府も国民も、大学の持つポテンシャリティーにそれほど期待もしていなかったし、それにふさわしい資金も投じてこなかった。ところが、いま日本がこういう状況になったときに、これから頼れるものになると思える唯一の希望が大学である、ということがだんだん認識されてきたのではないかと思います。そういう意味で、都市再生と同時に、工業等制限法が撤廃され、ようやく大学の復興が叫ばれる時期が来たかと思っております。

 その際、大学をどのように都市の中に再生し再構築していくか。例えば、公園などの美観としても役立つのではないか、あるいは経済的効果が大変上がるのではないか、少子化の時代に青年を都市に引きとめる有力な拠点であるとか、いろいろな考えが出てくると思います。しかし、私は大学が大学として貢献できるとすれば、大学の持てる最もふさわしいもの、つまり大学を活用できる点は何かというと、いままでいわれている「知」の拠点としての力を最大限に発揮させることだと考えております。

 大学が「知」の拠点として復活する一つの理由は、若い、凄まじいエネルギーを持った学生、しかも未来志向の集団が存在することと同時に、学生に対峙して多分野にわたる専門家集団という大学の教員や研究者、技術者がまとまって存在することです。もし何か重要なこと、あるいは困ったことがあって情報や知識を必要とするときに、大学が存在しなかったらどういうことが起きるか。例えばアフガンの戦争が起きたとき、アフガニスタン語を学べるところが日本にどこもなかったらどうなるかをよく考えます。そういう知識や技術の専門家の集団が存在します。

 もう一つ、大学の非常に重要な機能として、社会に対して、例えば物質主義だけがすべてではない、あるいはある見方だけが真理ではないことを絶えず批判的に提議できる。そういう社会批判の機能があると思います。

 最後に、私はこれまで幾つかの国に留学したり、大学を訪ねたりしてまいりましたが、何といっても大学の一番の誇りは、「わが町に私たちの誇れる大学があるのだ」という市民の意識です。あるいは、一種のシンボル効果かもしれませんが、「自分たちの大学をこの国の一番の大学にするのだ」という意識を持つことが重要かと思います。

 大学は「知」の創造として研究という機能を営んでおりますし、その「知」を伝達する機能として、教育という営みを行っております。その研究や教育を応用することで、サービスという機能を営んでいます。この3つの機能を同時に1つの組織体で営めるのは、いまの社会の中では大学という制度しかありません。そういう意味で、都市再生のために大学の3つの機能を十分に活用すべきであると考えます。

 齋藤 「知」の拠点としての大学、都市の再構築をどう関係づけるかというお話だったと思います。どうもありがとうございました。

 続いて、都市問題の立場から、小林重敬先生よろしくお願いいたします。

横浜国立大学・小林先生

 小林 私は、都市再生という側面から、「知」の拠点のかかわりのお話をさせていただきます。

 近年、都市再生についてさまざまな議論がされておりますが、1つの大きな要因はグローバル化の流れだと思います。市場メカニズムで動いている世界的な市場の動きに対して、わが国の都市はそれにどう立ち向かうかという議論です。そういう議論が高まれば高まるほど、一方で、自分自身がよって立つ土地、ローカル化という議論も、大きな議論としてこれから出てくるのではないかと考えます。そういうグローバル化とローカル化という、2つの都市再生の大きな動きに対応して、われわれがどういう形で都市再生を考え、「知」の拠点を考えていったらいいか、少し思いをめぐらせてみたいと思います。

 グローバル化の流れの中では、先ほど江崎先生も若干おっしゃっていましたが、従来の例えば大量生産・大量消費という議論や開発ディベロップメントという議論から、むしろ生活の質の議論やマネジメントの議論に大きく変わってくる必要があることです。

 質の議論というのは、従来の「知」に期待するものではなく、新しい「知」に期待するものではないか。従来の「知」に期待していたものは、都市づくりの面からいえば、ピークアウト型の課題、要するに都市に人口が大量に集中してくる世界において、どう対応するかが大きな課題でした。しかし、今日の質の議論は、ピークアウト型の課題に対応するのではなく、これから新しい「知」の拠点として都市を生き返らせていくためにはどうあったらいいのか、従来の都市とわれわれがこれからの都市に期待するニーズとの間にミスマッチが生じている、それをどう考えていったらいいのかというミスマッチ型の対応です。

 2年前、経済企画庁長官であった堺屋太一さんの最後の仕事として、私がまとめ役をさせていただいた「知恵を活かし知恵を育むまちづくり」という報告書があり、それは「都市が人々の個性や創造性を発揮しやすいよう変化することがなければ、都市は知恵ある人を引きつけられず、都市ひいては経済社会全体の活力を失いかねない」という言葉で始まっています。恐らくそういう方向で都市再生を図っていかなければいけないのではないか。

 そのときに「知」のあり方はどうあるのか。質をベースに新しいニーズに対応する都市を展開していったとき、エリック・レイモンドという方が、「知」のあり方として、カテドラルとバザールという2つの対比的な考え方を出しています。カテドラルというのは、江崎先生のお話にも若干あったかもしれませんが、少数の者が本当の精鋭として閉じられた、例えば大学、アカデミックな社会の中で大伽藍として構築していく「知」のあり方です。しかし、最近ではそれのみではなく、むしろバザール的なあり方、つまり多様な「知」があり、それがいろいろな形で組み合わさり、ちょうどバザールのようなにぎわいのある世界をつくり出す。それが新しい「知」の船出を促すのだという議論です。

 バザールの「知」のあり方として世界的に有名なのは、IT関係のリナックスというシステムで、わが国にもその拠点があります。恐らくこれは先ほどの報告にありました、開かれた大学、開かれた「知」のあり方に対応しているのではないかと考えます。

 もう一つは、ローカル化に対応する議論です。先ほど「量から質」という議論がありましたが、それとほぼ同じような議論で、画一化や平準化というあり方から、多様化、個性化という議論に社会が大きく変わっていく。そうでなければ、ローカル化から見た都市の再生が実現しないのではないかという議論です。

 多様性を持っている人間、あるいは人間社会にとって非常に貴重なものを、これまでの都市は特にローカルな側面で失ってきたのではないか。画一化に大きく舵を取ってきたのが、これまでのわが国の社会のあり方で、その中でどうやって多様化を実現していくかという議論です。先ほど江崎さんのOHPの中に「ものづくり」という言葉がございました。従来の産業のあり方、あるいは「知」のあり方を考えてみますと、先ほどのお話でいえば、トップランナーではなくてフォロアーを育てるという議論です。企業を誘致し、誘致した企業に優秀な労働力を提供することが、地方活性化のあり方の一つとして評価されてきたわけですが、恐らくこれからは企業を誘致するのではなく、自分で企業を興し仕事をつくるという議論がローカルのあり方の中心になるのではないか。そのとき、自分で起業し仕事を始めることを支える「知」が必要である。その支える「知」としての大学のあり方が、これから問われてくるのではないかと思います。

 先ほどの報告書の中にもかなりありましたが、これからのローカルな「知」のあり方としては幾つかのあり様があります。1つは、ローカルなレベルにある「知」をどう育成していくか。従来のレイバー(労働)という段階から、ワーク(仕事)というレベルに持ち上げていく仕組みをとるための新しい大学のあり方、人材の育て方をどう大学が担っていけるか、これが大きな議論になると思います。もう一方で、既に地域にあるコミュニティ・ナレッジと申しますか、地域の「知」をどうやってうまく活用できるかという2つの側面で、これから地域と連携した大学のあり様が問われてくるのではないかと思います。

 第1回目は、とりあえず総論的なお話だけさせていただきます。

 齋藤 われわれの環境をグローバル化とローカル化の両方からとらえ、これからは多様性や個性化、あるいはレイバーというよりはワーク、自分で仕事を興す意味でのローカル化であるということ。そして、カテドラルとバザールのたとえで説明されましたが、バザール型の開放性の「知」の集団との兼ね合いが必要である、というご指摘ではなかったかと思います。どうもありがとうございました。

 続いて、大都市圏なり地方圏の都市再生の現場から高等教育機関へいろいろお考えいただいている小澤一郎さん、よろしくお願いいたします。

 小澤 私は、都市再生の具体化という視点から、大学と都市についての話をさせていただきます。

都市基盤整備公団・小澤理事

 ご承知のとおり、都市再生がスタートして1年近くたち、また法律ができ、つい先日はとりあえず第一弾ということだと思いますが、大都市の都心部を中心として緊急整備地域が指定され、これから経済的ポテンシャルの高い、フィジビリティーの高いところから民間による都市再生プロジェクトがスタートすると思います。

 都市再生本部のいろいろなペーパーをごらんになるとおわかりのとおり、やろうとしている都市再生は、幅の広いことがたくさんあるわけです。大都市だけではなく地方都市も含め、たとえていえば1万都市から1,000万都市まで、日本列島における都市の再生をするということです。これから具体のプロジェクトの立ち上げに向けて、いろいろな知恵の結集をしていかなければいけない。また、大都市においても、当面第一弾でスタートするプロジェクトのほかに、残されている問題として、いわれ続けている臨海地域の再生の問題、密集地域の再生の問題などがあります。

 これら大都市のことも地方都市のことも含めて、プロジェクトの具体化を図っていこうとする場合、その立ち上げのプロセスは二通りあろうかと思います。1つは、社会のニーズに照らして、経済的合理性に基づいてプロジェクト化されていくものです。一方、地方都市の中心市街地の問題や大都市の臨海部の問題、あるいは大都市の密集市街地の問題は、市場原理に基づいて自動的にプロジェクトが立ち上がってくるというものではありません。またこれらの都市再生プロジェクトを、大げさな言葉でいえばどういう理念に基づいてやっていくかということも大切です。これからの社会のあり様、あるいは経済のあり様をきちんと組み込み、そういうものを起動させたりする形が求められるだろうと思います。

 例えば、きょうのテーマである大学改革と地域における大学機能のあり様、そして、バイオテクノロジーやIT、ナノテクの話がありましたが、それらを具体の産業に育てて市場を形成していくということで、新たな産業クラスターづくりという大きな流れもあるわけです。一方、わが国における雇用の問題もあります。NPOの社会的定着を図った形で、地域における新しいカタチをつくっていこうという考え方があります。これらの問題は、これから行われる都市プロジェクトの中で、密接に関連するものとしてすべて一つのプログラムに統合していかないと、社会の要請するプロジェクトにならないだろうと思います。

 これは、都市プロジェクトを立ち上げる側からいうと未踏の分野というか、新しい経験をしていかなければいけないものです。まさに、いろいろな「知」の融合を図っていかなければなりません。今回、日本開発構想研究所の中に設置された齋藤委員会のメンバーとして参加し、大学の先生方、そして大学施設のご担当の方々と、これからの大学改革の中で組織的な問題だけでなく、具体の物的計画、空間計画の問題に関連して、都市と大学との関係の議論をさせていただきましたが、これからなかなかおもしろいことになるかなと思っています。大学と都市の新しい融合について、「知」の融合だけではなく、空間的な融合という意味でも、これまでのルールを棚上げして、何が社会にとって一番望ましい結果に至るのかという観点から、大学の空間・施設のあり様と都市のあり様を白地の中で議論させてもらうと、非常にいろいろなことが起こってくる。これからの地方都市の問題も大都市の問題も含め、最終的な目標とする都市再生をより実りあるものにするには、大学が予想以上に重要なキーポイントになるかなと、最近強く感じているところです。

 もう一度回ってくるということですので、具体的な話についてはそのときに譲りまして、とえあえず感想をお話しさせていただきました。

 齋藤 都市再生については、社会のニーズに応じる態勢も必要であるが、他方、理念、理想的な計画という考え方もあることをご指摘いただきました。そういう理念や理想形に基づく都市計画の場合には、新しい産業と並んで大学が非常に大きなウエイトを占めてくるであろうというご指摘でした。そういう大学が「知」の融合というか、都市での他の分野との融合が大事であるという観点もあるわけですが、大学の施設、物的計画、その空間的な融合も非常に重要であるというご指摘をいただきました。どうもありがとうございました。

 それでは、青森において公立大学の設置をはじめ、エリア内の他の大学との連携についていろいろご苦心をなさっています、あるいは市民と大学のかかわりについて具体的に展開しておられます青森市長の佐々木誠造さん、よろしくお願いいたします。

 佐々木 私どもがなぜ公立大学をつくろうとしたか、どんな大学ができたか、その波及効果はどの程度出ているか、といった視点でお話をしたいと思います。

佐々木・青森市長

 青森市は、終戦の年、昭和20728日に大空襲を受け、当時の市の90%が灰塵と帰した町です。そのとき、後の弘前大学になる高等師範、高等医専が全部、弘前市に移転せざるを得なくなったという歴史をたどっております。それが後の弘前大学の教育学部であり、医学部です。それ以来数十年間、国立大学をつくりたいというのが、市民の長年の悲願でした。私が市長になったのは平成元年5月ですが、そのころ公共放送の番組で「日本全国の県庁所在都市で国公立大学がないのはどこか」というクイズが登場しました。幸い、沖縄とか何とかいわれてはずれたのですが、正解は青森市であったということで、大変悔しい思いをしたことを忘れておりません。恐らくわが市民全部がそういう思いだったと思います。

 そして、市長になってすぐに気がついたのは、人口がどんどん減っていることでした。そして翌年の平成2年に行われた国勢調査で、それがはっきりと裏づけられたわけです。昭和60年〜平成2年までの5年間で、なんと6,237人減っておりました。青森市は29万人をずっとキープしていましたが、28万人台に落ちたわけです。当時の国勢調査の結果を見ますと、県庁所在市で人口が減った唯一の市になってしまいました。分析しますと、高等教育を受けるために行くと、向こうで就職して帰ってこないわけで、全部東京都に吸収されているわけです。

 そんなことがわかり、これは何とかしようと、早速、設置構想審議会をつくりました。そのときに、日本開発構想研究所にも大変お世話になったというご縁です。就任したのが平成元年5月で、設置構想審議会を立ち上げたのは2カ月後の7月、いろいろと話し合いをしたり、天城先生にもアドバイスを頂戴したり、いろいろなことがありました。21世紀のあるべき大学像へ何としてもアプローチしてみようというチャレンジ精神で、奇をてらわずに基本をしっかりしてその展開を図ろう、あるいは地域貢献できる大学にしよう、地域に開かれた大学にしよう、という理想像を掲げて検討に入りました。

 また、それと期を同じくして青森商工会議所の会頭が会長になり、公立大学設置促進期成会が立ち上がり、何としても悲願の公立大学を実現させなければいけないという運動が始まりました。15万人署名、20億募金をしようということになりましたが、なんと1年足らずで20万人署名、205,000万円の基金が集まったわけです。30万人を切っている11万世帯の都市で、20万署名というのは大変な数です。一方、JCのメンバーも公立大学をつくる会をつくり、草の根的な市民運動が展開されました。

 そういうことが非常に力になり勢いを得て、ぜひとも壮大なる実験をする大学をつくるべきである、既設の高等教育へのある意味での挑戦をしてもいいのではないかという力になってまいりました。そして、入口よりは出口を重視する大学にしようということで、50%の推薦枠をあらかじめ文部省からもらいました。当時は30%以上は認めないということでしたから、相当難渋した経緯がございました。その結果、県内には県立、私立、実業高校を含めて85校の高校がありますが、県内の高校には最低1名以上の推薦枠を与えました。開校以来、国公立大学に生徒を1人も送ったことがない高校がたくさんございましたが、そこからも受け入れることができました。

 それでどういうことが起きたかというと、その地域の元気が出てきましたし、その地域の子どもの目が輝き始めました。そして、レベルが上がってくるという状況になりました。心配されたのは、そんなやり方をしたら、きっと教育レベルが落ちるだろうということでした。しかし、足かけ10年たち、推薦で入った者は学長賞も取るし、大学院の博士課程に行くという状況にまでなりました。一般選抜も推薦入学も、その子どもの個性、能力では全然変わらないという実証ができたことは大変な収穫です。

 また、教育システムについても、グレード・ポイント・アベレージ(GPA)を最初から取り入れ、3セメスターで、グレード・ポイント・アベレージが2.0以下の子どもは退学勧告される制度も取り入れました。事実、退学勧告された生徒は、この9年間で200名くらいおります。しかし、先生が3回ほど面接をして十分なネゴシエーションをし、そして復学する学生も出ました。そのように、出口が非常に厳しく、勉強しなければ出ていけない大学です。先生のほうにも教育に責任を持つということで、授業計画表(シラバス)を最初から提出させます。そして、学生による授業評価と結果の公開も行います。先生の教育内容が審査されるわけです。教員による履修相談も設定しています。

 したがって、この大学は、まさにこれまでの大学とは一味違った壮大なる実験に入っていると考えております。

 平成5年春の開校ですから、平成4年度の最後に高等教育局長から認可証をいただき、新しい設置基準による第1号の大学になることができました。設置基準の見直しがなければ、きっと許可にならなかった大学です。そのときに、いまの文部科学大臣の遠山さんにいただきまして、因縁はあるものだと思っています。そのような経緯を経た、まさに草の根でできた大学です。

 そして現在の校友関係については、青森大学ができてから、青森市に従来あった中央短大が頑張って4年制の大学に移行しました。私どもは経営経済学部、そこは経営法学部なので、早速タイアップをしようということで単位互換性の協定を結び、実績が結構出てきております。それから、向かい側の函館市と青森市は双子都市提携を結んでいる関係で、平成12年にできた、はこだて未来大学と提携について話し合いを続行中です。あそこはまだ学部がすべて完成しておりませんので、具体的な取り組みはそれからになりますが、とりあえず函館の公立大学広域連合の市町村からの推薦入学制度はスタートしており、5名くらいの枠でいつでも受け入れるという協定を結んでいます。また、公立大学と称するものは、函館のほかに釧路公立、宮崎公立とありますが、この学生交流会をことしの9月に予定しております。

 そのようなことをしておりますが、地域に開かれた大学、地域貢献をするのが公立大学の第一の使命であると考え、各公開講座、聴講生などについてはきめ細かく、相当の回数を実施しております。また、国際交流貢献としては、韓国の教育文化友好都市、ピョンテク市の青年を毎年1名、費用は全部青森市持ちで受け入れ、4年間がっちり勉強して帰ってもらっています。幸いにして、送られてくる学生は常に学長賞をもらうようなすばらしい青年で、こういう国際交流に対するお手伝いもしております。

 まだ時間があればご報告したいのですが、結果としてどういう数字が出たかというと、先ほど人口の問題をお話ししましたが、平成2年から10年後の平成12年に国勢調査が行われ、そのときに大変喜ぶべき事態が発生いたしました。この10年間で、人口が151人増えました。前5年の6,237人減ったショックから立ち直り、大学ができて10年たって人口が151人増えた。これまでの市の人口の最高に到達して、いまも微増しております。

 もう一つのご報告は、青森公立大学ができる前は、青森市内には青森大学という私立1つしかございませんで、入学定員が200名でした。これができて10年後、平成12年現在では青森大学679名、大学院もできました。それから公立大学、中央学院大学、県立の保健大学まででき、入学定員トータルで1,334名という収容力(収容定員5,256名)を持つ大学の町になりました。まさに学園都市に変貌したと思います。

 これをベースにしながら、いろいろなことをやっておりますが、それは後ほどのパート2でご報告させていただくこととして、マイクをお返ししたいと思います。ありがとうございました。

 齋藤 戦後、新制大学が創設されるとき、どの大学、高等専門学校を残すか、どの場所に本部をつくるか、どの場所にどういう学部をつくるかが大変な問題でした。青森公立大学の設置の経緯が、弘前大学との経緯との怨念の結果とつゆしらずに大変失礼いたしました。よくわかりました。ありがとうございました。

 そういう気持ちがよく乗り移ったというか、大変な成果を上げられています。本日も加藤学長がお見えですが、県内85校から最低1名の推薦応募をされているということですけれど、これがまた並の大学ではなく、全国で最も厳しいGPA制度を実施しておられる大学です。85校の推薦者がそれにたえているということは、大変な成果ではないかと感じた次第です。

 コーディネーターが若干主観を申し上げまして失礼いたしました。大変参考になることをどうもありがとうございました。

 では、第二巡に移りたいと思います。新谷先生の基調講演では、国土開発、地域開発の問題が、教育問題、大学問題に突き当たったというのが主な筋でございました。そして江崎先生のお話では、科学と技術の関係で、科学が学問、研究というか純粋な行動であるのに対して、技術は富あるいは社会に結びつく業であり、そこで科学と技術の関係をお話しされました。いずれにしても、町と大学の関係、地域と大学の関係に突き当たるわけです。そういう立場から、まずあらましのご意見を述べていただきましたが、具体的な事項を添えて補足していただくということで、恐縮ですが、お一人5分程度でお願いいたします。

 喜多村先生から、よろしくお願いいたします。

 喜多村 幾つか申し述べたいことがございますが、青森市の佐々木市長のお話に関連して申し上げます。

 先ほど私が申し上げましたように、市民のわが市・わが町に大学をつくる、あるいは持ちたいという情熱がいかに強いかをまさに証明されたと思います。特に市長に人を得て、こういう成功がなされたのだと思います。

 ただ、20年以上前、私自身がある国立大学におりましたが、当時は学生がスピーカーでがんがん演説したりデモをしたりするので、あんなうるさいものは出ていったほうがいいと、その市にとっては評判が大変悪かったわけです。それで決まったわけではないのですが、それもあって隣の市に移ることになりました。そうしましたら、先ほど市長がおっしゃったのと同じように、県庁所在地に国立大学がなくなる唯一の市であることを移転決定後にお気づきになり、大変慌てられた。多分、日本開発構想研究所もご関係になったのではないかと思いますが、それで市立大学をおつくりになったわけです。

 そういう意味では、大変いい大学をおつくりになったのですが、問題は、地方自治体というのは、多分どこでも財政には大変悩んでいらっしゃるわけです。おつくりになるときは大変景気がいいが、その後なかなか続かないことがあって、どうしてもしぼんでいく。それから市長はどのように感じておられるか知りませんが、大学の教授は最も保守的で、教授会議事で何をやってもちっとも決まらない。私もそうなので反省しているわけですが(笑)、すると市の考え方とうまく合わないことがいろいろあるわけです。そういう意味で、カネや人、あるいは教授会などといろいろなコンフリクトがおこります。伺いますと、人口も増えるし大学院も大変成功をおさめておられるようなので、できれば現市長がいつまでもお続けになることを期待します。

 小林 先ほどは抽象的な話をいたしましたので、具体的な話を少し紹介いたします。

 先ほどは、カテドラルとバザールという対比的な「知」のあり方があって、近年のバザールの議論を展開したわけですが、その具体例としてリナックスの議論をいたしました。昨年、ある奇特家が東京の千代田区にビルを寄贈するということで、そのビルをどのように活用するかという選定委員会の委員長をやらせていただきました。秋葉原のど真ん中に生まれたビルをどう使うか。まさに秋葉原にとって、千代田区にとって、場合によって日本にとって、ある意味でのバザール的な「知」の拠点ができないかという思いがございました。一般的なコンペティションをやった結果、7つぐらいの中からか2つの提案が生き残りました。その一つが、日本のリナックスの拠点をつくるという、リナックスジャパンからの提案で、もう一つは、地元の大学の卒業生が、さまざまなベンチャーを興したりするときのよりどころとなる施設をつくりたいというものでした。甲乙つけがたかったのですが、リナックスという言葉にひかれて、現在、リナックスカフェが具体的な拠点としてあるわけです。

「日本経済新聞 2002年8月28日」

 リナックスジャッパンの本部をビルの5階に置き、あわせてリナックスジャパンがそのビルを経営しております。そして「こんなビルに?」という小さなビルですが、カナダ、インド、韓国、日本の秋葉原に関係のあるベンチャーが入り、江崎先生のお話によれば、科学というより技術をそこで磨いて、新しい出発点になっているということです。そして、地元の大学の方々もまだあきらめているわけではなく、機会があれば、あの近辺で先ほど申し上げたような拠点づくりをしたいということで、具体的に動いております。

 こういう都市の中に、小さな単位で埋め込まれた技術を中心とした「知」の拠点がどれだけあるか。それらの活動を支える都市的なインフラがどれだけ整備されているかが重要です。例えばそういう方々が生活する、あるいは技術開発をする際、場合によっては深夜にわたる作業を行うわけですが、ビルから出たら真っ暗闇では、そういう方々の創造力をかき立てることはできません。たまたまそこには、事務所のいろいろな機能を支える24時間営業のキンコーズができていますが、さまざまな機能がそこについて来ようとしています。そういう形で、都市の新しい機能が始まるのではないかという思いを強くしており、千代田区の委員会では、第二弾、第三弾を考えています。

 ただ、非常に大きな制約があります。行政の中に産業振興ということがあり、産業振興をするのだから、新しいベンチャー企業その他に対して、あるいは新しい「知」の拠点をつくるのに対して補助したらどうかという議論をしたところ、「われわれの産業振興は伝統的技術に対するもので、これからどうなるかわからない新しい産業を振興するための資金ではございません」と断られました。江崎先生のお話ではありませんが、伝統が後ろを向くか前を向くか、まだまだ前を向けない状況がわが国の一部には残っています。しかし、地域の活性化には、こういうものが必要であるという具体的な姿を見せることができた一つの拠点が、リナックスカフェではないかと思っております。

 齋藤 創造的技術の開発、そういう拠点としての大学は、ぜひ必要ではないかということを思わせるご提言でした。どうもありがとうございました。

 小澤 先ほどの続きになりますが、これからの都市再生の具体化の段階で、大学と都市との関係で大学改革がこのように進むといいかなというか、「こういうことができるようになるといいなと思っている点」が3点ほどございます。

 1つは地方都市の関係です。先ほどご紹介されたアンケートの中に、全国の国立大学で、地方都市の町の中心部にある大学と、郊外部にある大学の比率が出ていたと思います。国立大学は、半分以上が地方都市においても町の中心市街地、あるいはそれに近いところにあるのが実状だと思います。一方で地方都市の問題は、単なる商業問題ではけりがつかない。抜本的なことを考えながらやっていかなければいけない非常にむずかしい問題だと思います。

 その中で、国立大学が占める中心市街地におけるいろいろな意味のインパクトは、ものすごいものがあると思います。そこでハード、物的なことに関して考えた場合でも、これからの大学改革の中で行われる空間的なプロジェクトも、その町の都市プロジェクトと融合した形でいろいろな投資が行われ、大学の空間が町の空間に融合する形ができると、そこでまたいろいろなプロジェクト立ち上げの知恵が出てくると思います。文部科学省の投資になるエリアですから、ほかの省庁が公的投資されることについていろいろな調整が必要になる部分もありましょうし、そこで民間投資をするとなると、また別の議論の整理が必要かと思います。とにかく非常に重要な資源、資産であるので、この辺のことがひとつ整理されていくといいかなと思います。

 もう一つ、大都市の臨海部を考えてみますと、先ほど申しましたように市場のニーズがあって臨海部が再生していくという脈絡ではありません。これからの社会にとって必要な、あるいは経済、産業にとって必要なプロジェクト構想が、その地域に受け入れられる形で立ち上がってこないといけない。すると、まさに知恵の問題になるわけです。例えば、環境産業をこれから戦略的に育成していこうという大きな国家戦略があるが、それを具体的に社会の中でどのように形成していくか。もちろん各省の問題もありますが、大学も国立・私立を含めて、例えば土壌汚染問題に関してはすべての大学の研究所機能を1カ所に集めるなど、まさに「知」の拠点たる大学が社会に向けて垣根を取り払って力を発揮することができれば、臨海部のプロジェクトの具体化に向けても、これまたいろいろなエネルギーになるのではないかと思っております。

 そのこととあわせて、大学改革の中で、専門職大学院みたいな新しいタイプの大学院構想も順次具体化されていくようですし、そこでは新しいビジネスを起業することに教育のターゲットを置くようになってくると聞いております。そうなればなるほど、1つの専門職大学院をつくって、起業家プログラムを発動させることと、都市再生のいろいろなレベルでのプロジェクトの連携もあるかと思います。いろいろな意味で、大学改革が直接・間接に、これからの都市再生プロジェクトのあり様に非常におもしろい形でかかわってき得るのではないかと期待しているところです。

 齋藤 都市再生の立場からも、大学とまちが融合する空間的なプロジェクト、施設のプロジェクトの関係が大事であることや、国家プロジェクトと大学の共同利用機関、大学の共同体等との関連づけが必要であること、並びに専門職大学院等の例においても、起業家のプログラムと都市再生のプロジェクトの関係が重要であること。要するに町、都市、地域と大学とのプロジェクトの共同化が重要であるというご指摘であったと思います。

 それでは青森市長、まだ大分余裕がありますし、皆さんも非常に期待しておられるようですので、ひとつよろしくお願いいたします。

 佐々木 先ほど、つくるまではいいが、つくった後にどうするかが問題であるというお話がございましたので、ケーススタディを申し上げます。

 私どもの公立大学の設置は、土地を含めて設置費用が156億円でした。土地は約46ヘクタール、青森から20分ぐらいの距離で、十和田観光のルート上にございます。寄付金は、県の補助金と民間が集めた寄付金が20億円ずつ、市以外の町村の負担が5億円ほどございます。そして、青森市が直接、真水を入れたのが23億円で、差し引き約90億円を起債でやっております。そのような状態でスタートしております。

 ちなみに運営費については、平成14年度の当初予算では197,800万円と、20億円を切っています。これに補助金や地方交付税、また授業料などもありますので、青森市の一般財源からの負担は6億円足らずです。青森市の財政規模は1,100億円ぐらいですので、現状のまま推移すれば、負担に十分たえられると考えています。経営経済学部ですので、財政的自己規律の確立は加藤学長の大方針です。経営経済学部が財政で破綻したらみっともない(笑)。そういうことで、学校の経営者、いい学長をいただくかどうかによって、大学の命運は決まるといっても過言ではないと思います。私どもは大変いい学長をいただいているという状況です。

 ただ、先ほど教授会のお話もございましたが、これには学長も大変苦労している話を常に聞いております。国の独立法人化の問題で、任期制になるか契約制になるかわかりませんが、いずれ公立大学にもその波が押し寄せてくるとすれば、いい面でそれを上手に受け取りたいということだろうと思います。

 さて、地域貢献の問題で少し補足させていただきます。公立大学の最大使命は地域貢献だと申し上げました。つまり設置者が自治体ですし、その設置経費、運営費はほとんど地域住民の税金の投入ですから当然のことです。

 その中で2つだけ紹介します。公立大学は、大学院との一貫教育を目標に最初から設置しており、1997年(平成9年)、1回生の学部卒業生にあわせて大学院を設置いたしました。そして、せっかく集まった「知」の活用として、2つの研究センターが付置されました。1つは青森公立大学地域研究センターで、地域経済の数々のプロジェクトを自主研究して提言しています。また、青森市は積雪寒冷地の大変厳しいところですから、とりわけ自然と調和して持続可能な冬の都市にとって、特に少子化高齢化、核家族、豪雪に欠かせないコンパクシティ、これが私が市長就任以来、掲げているコンセプトですから、その寒冷地プロジェクトを、質はわかるので、経営経済学部として価値量的に研究してくれという問答を吹っかけ、取り上げてもらっています。そのほか受託研究も数多くやっています。

 もう一つは雪国学研究センターを設置いたしました。青森市は北海道の雪も新潟の雪も両方降る気象条件にあります。その中で、雪についての暮らしのすべての応用技術をここで研究し、それを活用していく情報を発信していく試みです。国の関与した雪の研究センターはあちらこちらにありますが、理学的な分野が非常に多く、必ずしも応用技術には結びついておりませんので、それをわれわれがやる。つまり北国の暮らし研究センターとでもいうものですが、これを昨年10月に設立し、現在その活動に入っております。この成果を上げることにより、極めて大きな地域貢献ができていくと考えています。

 最後に、最近のいろいろな動きの中で国の法律の改正問題がありますので、私の意見を申し上げておきます。文部科学省の補助金は減少するでしょうし、総務省も地方交付税の見直しをするでしょう。すると、まさに地方は厳しい状況に置かれます。研究分野で先進的な大学に補助金を傾斜配分する「トップ30」が打ち出されていますが、多くの公立大学は、研究分野では国立大学との競争力を持ち合わせておりません。公立大学の教育理念は、まさに教育に責任を持つというものです。したがって、大学の機能は教育と研究の両輪であり、研究についてのみ補助金の支給対象とするのは納得できません。したがって、教育重視型大学についても、適切な処理をされるように世論を喚起していきたいというのが、地方の私どもの立場です。

 なお、行政改革から始まって国立大学の独立法人化が行われておりますが、大学の個性を明確にするという点では大いに評価するべきものと思っており、私どもは大賛成です。そういう意味では、先ほど申し上げた教授会を含めた組織の見直しも大いに必要であると考えております。しかし、公立大学の独立法人化問題の際に、設置団体の意向、つまり国立大学は国の意向でよろしいわけですが、設置主体は地方公共団体ですから、この意向を十分に反映できるよう、われわれにも選択権を付与した法整備にしてもらわなければたまらない。こういったことについて、世論の喚起をぜひお願いしたいと思っております。この2つの問題提起であります。

 時間をいただきまして、大変ありがとうございました。

 齋藤 学長には経営的な手腕が重要であるというご指摘でした。なお、研究センター等を設けることや、国の教育への助成のあり方等についてのご提案もいただきました。どうもありがとうございました。

 本日、「『知』の時代の都市再生大学改革と都市・地域の再構築」ということでシンポジウムをいただきました。本当はフロアからもご意見をとも思いましたが、幸いこの後、懇親会がございます。昔からランチョンのときに一番創造的な知恵が出てくるという話もございますので、ぜひその場に意見交換の時間を譲っていただきたいと思います。

 12世紀から大学というところは「ガウンとタウンの対立」といわれております。地域とガウンが一体どのような関係を持つかが非常に重要であり、特に21世紀は、このよき関係を結びつつ、お互いに創造的に発展する時代になるのではないか。その意味で、都市再生の立場からも、あるいは大学の立場からも、大学改革が非常に重要ではないかと思います。ぜひ皆様方にもご尽力いただければありがたいと思う次第です。

 以上をもちまして、シンポジウムを終わります。どうもありがとうございました。

 司会 きょういただきました貴重なご意見につきましては、齋藤先生に座長をお願いしております当研究所の自主研究の中で再度お諮りしながら、早急に提言書としてまとめ、各界に提言していきたいと考えております。どうもありがとうございました。(拍手)

≪司会≫
(財)日本開発構想研究所・阿部