平成14年7月29日(月)開催
財団法人 日本開発構想研究所 創立30周年記念講演とシンポジウムの記録

3.記念講演

「大きく想像力を働かせ、創造性を育成する教育のあり方」

           江崎玲於奈(芝浦工業大学 学長


 引き続きまして、記念講演に移らせていただきます。江崎玲於奈・芝浦工業大学学長に、「大きく想像力を働かせ、創造性を育成する教育のあり方」と題しまして、記念講演をお願いいたします。

 江崎学長につきましてはご紹介するまでもないと思いますが、1973年(昭和48年)に「半導体内におけるトンネル現象に関する実験的発見」でノーベル物理学賞を受賞されています。その後、日本に戻られて、平成4年に筑波大学学長、そして平成12年から現在の芝浦工業大学の学長を務められています。

芝浦工業大学・江崎学長

 江崎 本日は、日本開発構想研究所の30周年記念に招待されまして、話をする機会を持てたことを大変光栄に存ずる次第です。

 先ほどの新谷先生の講演ですが、私が学長をしております芝浦工業大学も、5年後に江東区豊洲の新しいキャンパスに移る予定です。これは石川島播磨がいろいろな事情で、研究所だけを残し、ドックヤードをほかに移されるわけで、その50ヘクタールの土地のうち3エーカーばかりのところに、新谷さんがおっしゃったような趣旨に沿って都市型の新しいキャンパスをつくるところです。

 きょうは総合性を育成する教育のあり方について、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

 われわれ人間の能力2つあるわけです。1つはDNAに書かれた遺伝情報を持って生まれたタレントで、もう1つは教育・環境によって育成される遺伝外情報です。ですから、教育につきましては、人間のパフォーマンスは「Nature」とそれを育てる「Nurture」の2つのファクターによります。教育者は、自分の職業を重視するために、どちらかというと「Nurture」が大事だと主張するのも当然です。

 われわれは持って生まれた遺伝情報、天性をよく見出し、その天性に合った育成に努めること大変重要です。

 第一次産業、第二次産業の繁栄した時代は、ピラミッド型のhierarchy(階層社会)になっていましたが、これからはネットワーク社会になっていき、社会のパラダイムそのものが変わってくるわけです。人間の中にリーダーとフォロアーがある場合には、「将校」を育てるのか、「兵卒」を育てるのかということがあります。hierarchyの社会、つまり第二次産業が盛んな時代は、非常に忠実な兵卒、フォロアーをたくさん必要としました。それに対して、ネットワーク社会で「知」というものが重視される社会になると、リーダー格も育てる必要があるというふうに変わってきたわけです。

 ですから、いままでの横並び教育から脱却し、持って生まれた能力は人それぞれ違うのだという前提で、各人がそれぞれ持って生まれたタレントを見出し、それを育成することが一番重要です。先生の助けを借りるとしても、自分以外に本当に自分の人づくりをできる者はいない。自分をトップランナーに仕上げるのは、自分自身だということを念じなくてはいけないわけです。

 教育は大変大事ですが、ベンジャミン・フランクリンがいいことを言っています。「言われたことは大抵すぐ忘れる」と。皆さん、きょうの講演でどれほど忘れるか知りませんが(笑)。その次が「教えられたことならば覚えていることもあるかもしれない。しかし、自分が直接問題に巻き込まれる(involveされる)と能動的になり、そこから学ぶことができる」と。日本だけではありませんが、「学ぶ」ということ、いままでの教育は受け身型なわけです。

 学校の問題点はどういうところか。先生が講義しますと、皆さん一生懸命ノートを写すわけです。大学の役目は研究と教育ですが、基本的に先生は学生に「コピーしろ」と教えるわけで、忠実にコピーした人がいい点数をもらうわけです。偏差値とは、どれほどコピーできるかという能力です。ところが、研究ということ、それから社会に出てベンチャーでも始めるということは、コピーをしない、コピー禁止です。学校の先生は、「コピーをしなさい」と推奨するのと、「コピーしてはいけない」ということと大変矛盾したことを教えているわけです。考えてみますと、生まれた赤ちゃんはみんな、最初はまねをするわけで、両親のまねをして育っていくわけです。ですから、子どもは両親の鏡だという話もあります。「学ぶ」ことはまねをする、「まねぶ」から転じた言葉です。だから学校に行くと「まねをしなさい」と。

 人間の能力は大変複雑ですが、非常に単純化して考えると、知識を獲得しそれを解析し、理解し、判断する、これを分別力(知覚力)と言います。一方、創造性というのは、何もない、自分が積極的に新しいものを考えるわけですから、「まねするな」と教える。だから先生は「まねしろ」と教え、一方、創造性、きょうの話だと「まねするな」と教えるわけです。分別力、知識力、理解力、「学ぶ」はまねをしろ、「温故知新」という言葉もやや「まねをしないさい、いにしえから理解しなさい」と。それに対して、創造性は「まねしない」と決心したところから始まります。

 学生たちが卒業し、「コピーしろ」から「コピーするな」へ移るその導引は、「Autonomy(自主、自律性)」です。積極的に自分の価値観を持つ。だから自主、自律性を教育することは大変重要で、これがいまの日本の教育に欠けていることです。

 われわれは将校を訓練するのか、兵卒を訓練するのか、それによって教育が変わってくるわけです。まず将校、リーダーは、@自分で自分の走る道を考える、A問題探求志向、自主自律、B創造力を重視する。何か新しいことを自分で考えてしなくてはいけないわけです。C未来への挑戦、Riskを取る。それに対してフォロアー、兵卒は、@先に走るお手本に忠実についていく、A知識習得志向、他力に依存する、B分別力(Judicious mind)を重視する。C過去に依存。教育者は「温故知新」という言葉が大変好きですが、これはRiskを避ける一つの方法です。ですから、この辺が問題になってくるわけです。

 科学技術について、私の考えを少しお話しします。科学(サイエンス)は自然界のルールを解明する体系的な知識。技術は社会や企業の利益のために科学を応用するノウハウです。20世紀は、科学と科学に基づく技術が非常に発展しました。人間は昔からツールを簡単につくる動物ですが、われわれ人間には限界があり、それを乗り越えるために諸々の工学が盛んになったわけです。われわれはよりストロンガーに、よりスマーターに、よりファスターに、よりヘルシにと、われわれの限界から工学が発達してきたわけです。

 20世紀の特徴は、サイエンスをベースにする技術が進歩しました。しかし、日本には「科学技術」という言葉がありますが、これは非常にあいまいな言葉です。「科学」とは新しい知識をどれだけ得たかということを重視するのに対して、「技術」のベネフィットはどれだけ富や豊かさをつくったかということですから、測定する基準が違うわけです。非常に大事なことは、サイエンスの知識を、いかに富に変えるかです。つまり科学とは、例えばDNAがワトソンとクリックによって発見されたが、われわれのGeneが発見されると、新しい分野がどんどん開拓されるわけです。すると今度は組み換えDNAから始まり、それをジェネティック・エンジニアリング、バイオエンジニアリング、工学にもってくるわけです。

 ノーベル賞の功績は何か。アルフレッド・ノーベルの遺言にもありますが、「一番いい仕事をした人に賞を差し上げる」となっているわけです。だれが一番いい仕事をしたかを決めなくてはいけない、評価しなくてはいけない。皆さんご存じのように、「おれが世界一だ」、「おれが日本一だ」と思っている学者がたくさんいるわけで、評価をしたがらない。ところが、ノーベル賞はその評価をせざるを得ないわけで、国際的な評価をする。評価をすることは、評価されるほうもするほうも大変勉強になります。その国際的な競争が、科学を進める導引になった。それがノーベル賞の一番大きな功績であることを申し上げておきます。

 私は物理学ですが、量子力学は20世紀の最初の四半期ぐらいに完成しました。これはニュートンの力学に対するチャレンジのようなもので、分子などを説明するにはニュートンの力学ではだめだということで量子力学が生まれたわけです。原子の構造がわかったことは画期的なことです。われわれのすべての物質は90の原子でなっている(人工の原子を入れるとさらに増えるが)ことは、非常にミクロの立場から物質を研究できる。Atomというものがわかり、いろいろなことができるのが量子力学です。

 学問は大きく言うと2つあり、1つは宇宙にある物質を研究するPhysical Sciences(物理、化学)で、もう1つは生きているものを研究するLife Sciencesです。Physical Sciencesの分野でAtomがわかり、Life Sciencesでは、すべての生物が持っているDNAGeneの構造がワトソンとクリックによって明らかになったわけです。これは非常に画期的なことです。そこからバイオテクノロジーができてきた。また、技術の分野では、私はコンピュータの会社に勤めていましたが、コンピュータがわれわれのMind(知)の働きを助け、向上させる。

 ですから、20世紀のサイエンスのキーワードとして覚えていただきたいのは、Atom」、「Gene」、「Mindです。

 機械や電気などの伝統的な工学に対して、最近、先端的な工学といわれるものが3つあります。それはインフォメーション・テクノロジーと、ナノテクノロジー(「ナノ」は109)と、バイオテクノロジーです。これは一体どういう意味を持っているかを、簡単に説明させていただきます。

 情報科学は、コンピュータがどんどん進み、現在のスーパーコンピュータは、NECがつくった「Earth Simulator」が世界最大のもので35テラフロップス、アメリカのIBMにあるのは7テラフロップスぐらいです。NECに言わせると400億円ほどかかり、政府は300億円しか出してくれなかったと嘆いていました。ともかくコンピュータはどんどん進み、いまのスーパーコンピュータの30倍ぐらいのもの、つまりペタフロップス(1015フロップス/sec)ができますと、人間の能力に非常に近づくわけです。現在でも、ある分野では人工頭脳的なものがいろいろできているが、これは人間にとって非常にクリティカルなものになるわけです。

 ナノテクノロジーとはどういうことか。人間の肉眼は、目が非常にいい人で0.2mmぐらいの分解能を持っているわけです。ところが、歴史的に考えると、顕微鏡がどんどん発達して小さいものが見えてきた。Atomはまだ見えませんが、1μくらい、106ですから細胞が見える。電子顕微鏡がどんどん進み、スキャニング・トンネリング・マイクロスコープは、それこそAtomの領域が見えるようになってきたわけです。つまり小さなものが見えるようになり、小さなものを操作することができるようになり、また小さなものをつくることができるようにもなってきた。半導体でマイクロエレクトロニクスという言葉がありましたが、そのスケールがどんどん小さくなり、ナノエレクトロニクスとなると非常に細かいものができる。例えばICなどにこれを使いますと、集積度のものすごく高いICができる。先ほど申しましたペタフロップスのコンピュータなどもできる技術ができる可能性があるわけです。こういう小さなものは、例えば体の中に埋め込むような小さなセンサーができたり、いろいろなものがポータブルになるわけです。いろいろな小さな素子ができる、これがナノテクノロジーの意味があるわけです。

 バイオテクノロジーはどういう意味があるか。われわれが持って生まれた遺伝情報は変わらないものですが、教育は遺伝外情報を皆さんに与えるわけです。ところが、バイオテクノロジーの技術を使って、われわれのGene、生物のGeneを操作し、われわれの進化、エボリューションのプロセスを変えようというわけです。これはethicalの問題やいろいろなことが論議され、早急にはできないかもしれませんが、例えば既にクローニングが行われているし、臓器をつくるとか、われわれの神経、ニューラル・システムにインプランテーションといいますか、われわれの知的なアビリティを向上することも不可能ではない。それから生命を長寿にすることができる。

 原子爆弾ができたとき、われわれは非常に驚いたわけです。つまり、普通の化学反応で熱を出すのと、原子力は質的に違うわけです。そういう意味で、バイオテクノロジーは、いままでわれわれが使ったテクノロジーとは次元が違うものをイントロデュースしたわけです。これは大変なことで、いろいろな可能性があります。ですから、こういう分野にどう取り組むかということになります。

 『THE NEW YORK TIMES』にJapanese Computer Is World's Fastest, as U.S. Falls Back、先ほど申しましたNECの「Earth Simulator」がアメリカを打ち負かしたということが出ています。

 先ほど申しました、科学と技術は違うことを説明させていただきます。横軸は時間、縦軸は知識量と富み(wealth)です。ある一つの分野、例えば先ほどのモレキュラー・バイオロジーの研究でDNAの結晶構造が解析されたわけですが、そういう新しい分野、新しいフロンティアが開拓され、科学の知識が時間とともに増えていくさまがサイエンスの「誕生のプロセス」です。それから技術は、いかにベネフィットを得たかがスケールになるわけです。ですが、「科学技術」は一体どちらに重点を置くのかわからない言葉です。最初の基礎研究の時はガタガタしていて、創生期はクリエイティブな個人の研究が重要です。サイエンスは進み方が2つあり、1つは日進月歩に進む、もう1つはブレークスルーあるいはサプライズがあることです。サプライズがあることはそうしょっちゅうはないのですが、それで新しい分野が開拓されるものにノーベル賞が与えられます。一たびできますと、基礎研究から応用研究へと日進月歩に進んでいくわけです。

 そして、応用研究で知識量が大体できますと、「知識の富への変換」になります。このプロセスが日本ではあまり上手ではないのですが、このプロセスがないと幾ら科学を研究しても、われわれの富に還元してこないわけです。このプロセスがあると新産業が開拓され、ベンチャー企業が生まれます。私はアメリカに随分長く住んでいましたが、いまから1516年前の80年代中ごろは、大変な不況に見舞われました。その産業構造を変えたのは大企業ではなく、100人以下のベンチャー企業です。そのベンチャー企業は、産業構造を変えた新しいサイエンスをどんどん富に変える。シリコンバレーは何も知識量をつくるのではなく、この「知識の富への変換」のプロセスなわけです。新しい分野を開拓したらノーベル賞候補に、新しい産業分野を開拓しますと億万長者の可能性があります。この図は、両方を取ることはできないことを知らせているようなものですけれど。ですから、この「知識の富への変換」のプロセスが重要であり、このプロセスをわれわれ日本人はあまり得意としません。

 歴史的に考えても、われわれ日本人は、欧米を範として導入した技術に改良・改善を加え、非常に安価で高品質な製品を量産するという、極めてすぐれた製造技術を確立しました。この製造技術が、戦後日本の経済復興の非常に大きな導引になったと思います。1960年ごろから80年代半ばまで10%前後の経済成長を続けた。これはまさに製造技術です。ところが、いまや製造技術は成熟し、韓国、台湾、中国などの後発国がこれに追いついてきたことが、日本の一つの大きな問題であり、いままでのような生き方ではだめだということです。

 ただ卓越する製造技術、製造インフラを確立するだけの研究開発力だけではだめで、何か新しいフロンティアを開発する、先ほどのようなナノテクノロジーとかバイオテクノロジーなどの分野で新しい成果をおさめなくては、日本は成り立たないことを申し上げておきたいと思います。そういうことの教育が重要です。

 先ほど第一次産業、第二次産業と申しましたが、最近は情報技術(IT)を通じて第二次産業と第三次産業が一緒になったという変化があります。例えば、シリコンバレーにはソフトの会社が多いですが、製造会社もあるわけです。これは要するに、私が何か新しい機械を考えたとして、それをつくりたいということになると、そういう製造を請け負ってくれるところにそのプロファイルを持って行って頼むわけです。すると、そのものをつくることと、サービスすることを引き受けてくれる製造会社があるわけです。そういう第二次産業と第三次産業が一緒のようなことです。

 私のことも少し話します。私の人生を振り返りますと、モビリティーが非常に高いことをしています。大阪で生まれ、京都で小学校、中学校、高等学校までまいり、大学は東京に来ました。青年期は、神戸工業という会社に勤めました。神戸工業はもともと日本毛織という紡績機械をつくった会社ですが、これがエレクトロニクス、半導体をつくっておりました。

私は1947年(昭和22年)に大学を卒業したのですが、この昭和22年はエレクトロニクスの分野で非常に大きなことがありました。それは半導体デバイストランジスタが、アメリカのベル・テレフォン研究所の3人の物理学者によって発明されたことです。20世紀最大の発明の1つは半導体デバイスであり、これなしに現在の情報化社会はありません。エレクトロニクスの基本は、ご年配の方はご存じの真空管で20世紀の初めに発明されました。信号の増幅、発信を扱う真空管が土台だったわけですが、それが半導体に置きかわった。これは大変なイノベーション(技術革新)です。私がそういう技術革新の波に乗ったことは、私の人生にとって幸いなことで、いち早く半導体の研究を始めました。そういう新しい分野を研究しますと、二流の研究者でも一流の論文が書けるわけです。それから、二流の経営者でも多分一流の成果が上げられるのではないかと思います。

 ところが、神戸工業という会社はあまり立派な経営者ではなかったのだろうと思いますが、経営難に陥り、やがて研究もできないような状態になります。私は沈没する前にそこを飛び出したのですが、実は富士通がこの会社を買収しました。ですから、私はずっとおりましたら多分富士通の社員になっていたのですが、そのときにある人を介して東京通信工業(現ソニー)を紹介されました。

 この会社はまだ500人くらいの中小企業だったので、この会社も大丈夫か、またつぶれると困るということで、この会社をよく研究しました。私がインタビューした井深大さんとか森田昭夫さんは非常にカリスマのある人で、10分くらい話しますと「これは大丈夫だ」ということで、そこに移りました。会社も私もアンビシャスで、博士論文ぐらい書こうと思ってした研究が、エサキトンネルダイオードです。それで無事、東京大学の物理の博士号をいただき、その後これがノーベル賞受賞の対象になったわけです。

 その後、アメリカの世界を眺めるということで、1960年(昭和35年)にアメリカに参りました。やはりアメリカはすごい国だと思いました。例えば1960年は大学の初任給が1万円ぐらい、私はソニーでわりにかわいがってもらって3万円くらいでしたが、アメリカでは特に優遇してくれたのだと思いますけれど、月給1,500ドル、1ドル360円の時代ですから53万円ですか。だから、私の生涯で給料が最も上がったのがそのときです(笑)。給料が安いということは、その産業をどんどん接近させます。現在、中国などは日本の給料の10分の1とか20分の1ですが、日本も同じことをしていたら立ち行かないということです。

 日本の国立大学の学長は選挙によって決まるわけですが、筑波大学の若い先生たちが私を担ぎました。私はずっとニューヨークにいたのですが、いまから10年前の1992年、筑波の前の学長から「江崎さんが学長に当選されましたけれども、お受けになりますか」と電話がかかってきました。日本人はノーとはあまり言いませんから、イエスと言って、私の生活は研究者から教育者に変わったわけです。

 物理学でわれわれが尊敬する17世紀の学者、Issac Newtonに「どうしてあなたは非常に先見性があって、いい仕事をされるのですか」と聞いたわけです。すると、「自分がだれよりも遠くを見ることができるには、ジャイアンツの肩の上に乗ったからだ」ということです。「If I have been able to see farther than others, it was because I stood on the shoulders of giants」。彼の乗ったジャイアンツというのは、ガリレオ・ガリレイとか、ヨハネス・ケプラーだった。これは非常に象徴的で、まずジャイアンツの肩に上るということは、いままでのジャイアンツのことを全部知らなくてはいけない、つまり先ほど言った分別力のようなものを十分つけなくてはいけない。それに対して一たび上がると、今度は自分で創造性を発揮する。ですから、この2つのプロセス、過去を「まねぶ」ことも大事であることを彼は象徴しているわけです。

 実はこの絵を描いてくれたのは、絵描きであるうちの家内です。

 真空管をやって、トランジスタのイノベーションのプロセスで私が教えられたことは、それこそ真空管を幾ら研究しても改良しても、全く別の原理であるトランジスタは生まれてこないということです。ですから、温故知新ということが必ずしも成り立たない。これは私にとって大きな勉強でした。将来は現在の延長線上という要素もあるのですが、将来はつくられるものだ、少なくともイノベーションのようなものがつくるのだと、教えてもらったように思います。

 われわれには分別力と創造力があります。これはあまりまじめに聞いていただく必要はないのですが、年齢的に若い人のほうが創造性があり、だんだん年をとると分別力が大きくなる。私は70歳をオーバーしていますが、人間は20歳から70歳まで働くとすると、20歳の人は創造力が100%あって、70歳まで簡単に棒を引くと創造性はだんだん失われるわけです。それで何を得るかというと分別力のようなもので、20歳の人は分別力をほとんどゼロとしますと、その分別力が立ち上がる。その創造力と分別力の線がクロスするのは45ですから、個人差がありますけれど45歳ぐらいの人は両方持っておられるというわけです。

 先ほどの話を聞いてぜひ申し上げたいのは、われわれの生き方(way of life)です。皆さんはどういうふうに生きているか。生き方を文化(カルチャー)と名づけますと、われわれには2つのカルチャーがあります。1つは「過去の歴史と向かい合った生き方、知識、情報を集め、分別力を働かせて、古きよきものの中から英知をくむが、何かと古きよきものにとらわれ、それをまねる文化」ということで「伝統文化」と名づけておきました。それに対して、もう1つは「未来の夢と向かい合った生き方、創造力を働かせて新しい進歩を追求し、変革してやまない自由な文化」ということで「モダーン文化」です。この会場の中には先生がたくさんいらっしゃって恐縮ですが、教育はどちらかというと伝統文化が強く、研究あるいはベンチャーなどの人たちはモダーン文化です。私が昭和31年に井深さんと話をして一つ感動したことは、彼は未来と向き合って仕事をしたことです。半導体の将来を信じ、これから半導体産業をつくるのだということ。これは温故知新ではなく、未来の夢と向かい合ったわけです。

 アメリカという国は、どちらかというと歴史がないものですから、当然未来志向が多いわけです。科学の研究は非常に未来志向です。現在の日本は、社風でも創業者がどうだこうだという企業は、伝統文化が強すぎるところがあるわけです。ですから、日本の企業を、いま申しましたいろいろな問題点から救うために、将来はモダーン文化を重視することが非常に重要であることを強調していきたいと思います。

 例えば新しい指針を得ること。われわれは過去に指針を求めるか、未来に指針を求めるか。もちろん両方ですが、先ほどの井深さんの話でも言いましたように、未来に指針を求めることが重要です。これは、アメリカ3代大統領のジェファーソンが言ったのですが、「私は歴史をひもとくよりも未来を夢見るほうが好きだI like the dreams of the future better than the history of the past.)」、非常に未来志向です。

 それから、実は私はトンネルダイオードというものをつくり、量子力学でトンネル効果をこれで検証したわけです。

 私が最初に外国に参りましたのは1958年で、ブラッセルで国際会議があり、3435時間かけてプロペラ機でヨーロッパに行きました。途中インドで一泊したわけですが、その当時ソニーに勤めていた私は、ソニーのテープレコーダーみたいなものを肩にかけていました。すると、通関のときに「それは何だ」と言われました。エレクトロニクスについては、特に目を光らせていた時代だったように思います。「これはテープレコーダーだ」と説明すると、インドの税関のお役人が大変興味を持ち、そのうちの1人が「売ってくれないか」というようなことを言いました。「売るわけにはいかない。これはまだ開発製品だ」と言うと、1人の賢そうな人が「それは英語を録音できるか」という大変いい質問をしてくれて、「これは研究開発中で、日本語しか録音できないのだ」と言ってやりますと(笑)、彼らはもう興味がなくなりました。商品価値ゼロですから、そのような時代だったわけです。

 向こうに参りますと、ブラッセルではエキスポがあり、いろいろエンジョイしました。シャンペン横丁みたいなところで、ワインをテイストさせてくれるようなところがありました。そのころは戦後13年ですから、まだヨーロッパは植民地を持っています。ベルギーは、コンゴからゲルマニウムという資源が出たので、ゲルマニウムをつくっているソニーは大変なカスタマーですから歓迎してくれた覚えがございます。

 そのときに、先ほどの評価ではありませんが、ショックレー先生のキー・ノート・スピーチの中で「東京のレオ・エサキが、トンネル効果について非常にブレークスルーの発表をする」というお墨つきをいただき、これでトンネルダイオードが非常に脚光を浴びた。つまり、いい評価を受けたということです。私が講演をするときには満員になったわけですが、多分だれにもわからないような英語を使ったに違いありませんから(笑)、余計皆さんが聞き耳をたてたという覚えがあります。

 一言だけつけ加えると、この後、ヨーロッパからアメリカに参りまして、トランジスタを発明したべル・テレフォン研究所に行きますと、Alexander Graham Bellの胸像があります。1876年、彼は電話を発明しました。電話の発明は、19世紀の大きな発明の1つだと思います。Alexander Graham Bellはもともとオーディオロジストで、耳の聞こえないような人に発声を教えていました。ヘレン・ケラー女史にもアドバイスをしたそうです。彼の胸像の下にこういうことが書いてあります。「Leave the beaten track occasionally and dive into the woods. You will be certain to find something that you have never seen before.」。「beaten track」は「踏みならされた道」です。「時には踏みならされた道を離れて、森の中に入りなさい。そうすると、きっといままで見たことのない何かを見出すだろう」。はからずもトランジスタを発明した1947年、この胸像はAlexander Graham Bellの生誕100年祭を記念してつくられました。私はこれを見て、「それでは自分も日本のbeaten trackを離れ、アメリカの森の中に入ってみよう」と。これもアメリカに渡る一つのきっかけです。ショックレー先生が賛同してくれまして、アメリカから非常に多くのオファーを受け、そのうち先ほど申しました月給1,500ドルのIBMを受けたわけです。

 非常にまとまらない話かもしれませんでしたが、教育のこと、科学技術のことを若干わかっていただければ幸いです。長い間、ご清聴ありがとうございました(拍手)。

 司会 江崎学長、大変ありがとうございました。

これで江崎学長のお話を終わらせていただきます。もう一度、盛大な拍手をよろしくお願い申し上げます(拍手)。